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お礼と「二人のこと」

2007.10.08 (Mon)
皆さん、沢山のコメントありがとうございます。
こちらから、お返事として失礼いたします。

検査結果ですが、数値は少し下がっていたのですが、正常値ではないのです。
なので、今週水曜に病院に行きます。
後日、PET画像検査をします。

何かをしてると考えないで済むので、毎日パソコンの前にかじりついてます。
まだまだ不安な日が続きますが、気分も少し落ち着きました。

皆さんの温かいコメントに、どれだけ勇気付けられたか・・・
本当にありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。

ということで、久し振りに 『二人のこと』 を書いてみました。



前回はこちら

無気力なまま退院の日を迎えました。

その後、治療があるとはいえ、病院から出られるというのは、どんなことよりも嬉しいことでした。

2ヶ月ちょっとの入院、この間に嫌いになったものが増えました。

スポーツ飲料・カレーライス・病院食などなど・・・

病院食は、美味しくないというわけじゃなかったのですが、食事を運ぶカートの【カラカラカラ・・・】の音を聞いただけで、気分が沈んでいたのです。

それだけ心も病気になってたんだと思います。

それだけに退院の日が待ち遠しく、早く帰りたい一心でした。


退院後、住む所を一番最初に探さなくてはいけません。

最初、私の実家と旦那様の会社の中間位に家を建てるか借りるかの話をしてました。

でも、色々と考えて『実家の近くでいいよ』と言ってくれたので、実家の近くで探していた所・・・歩いて1・2分の所にあったのです。

不動産に聞いてみると空室。早速、申し込みをしました。

こうやって部屋も決まり、引越しをするだけになりました。


引越しまでの間、あれやこれやと買い物に行きました。

母が『そんなに出かけていいと?』と言うほど、毎日のように買い物に行ってました。

今考えると、本当にあんなに出かけてよかったの?と、自分でも思ってしまいます。

術後の傷も痛いし、後遺症もあるのに、一時的とはいえ病院から開放されたということは、私の砂漠化した心に、水が入ってきたように潤っていたんです。

引越しの前後、旦那様も休みを少し長めに取ってくれていたので、ここぞとばかりに心配する旦那様を尻目に、あれもこれもと大きな物を買いに連れまわしてました。

引越しから2週間後、いよいよ治療のため入院することになったのです。

入院してる間は、旦那様と会えない生活は変わりません。

でも、また一緒に暮らし始めたことで・・・旦那様の決意のおかげで、私の気持ちが以前とは全く違っていたのです。


ここで一つ。。。

旦那様と私は籍を入れていません。

というのも、旦那様の両親が反対してるからです。と言っても、はっきり聞いたわけではないのですが・・・

旦那様は何も言いませんが、私と一緒になると話しに行った時に、きっと色んなことをいわれたと思います。

だって子供どころか、いつどうなるか分からないのに、賛成する親なんて滅多にいないと思います。

ご両親の気持ちは痛いほど分かります。

籍を入れるということは、旦那様とのだけの問題ではありません。

旦那様は責任感の強い人です、入籍すると言ってました。

でも、私は籍を入れることが重要ではないのです。

重要なのは、2人でどんな生活が出来るか?という事だけなんです。

前の結婚生活は籍が入ってるだけで、とてもじゃないけど二人で生活してると言えるものじゃありませんでした。

それに私と暮らすということで、いろんな辛い思いもされてるのに、それを無視して無理に入籍するのは、あまりに申し訳ないし心苦しいのです。

これから先、ご両親がほんの少しでも気持ちが和らいだ時に、改めてお願いしても十分なのです。

それに旦那様もご両親の気持ち、私の気持ちを考え、間に入ってるのも辛いと思うのです。

私の両親にも、「逆の立場だったら、やっぱり反対したやろ? だけん、無理して籍は入れんでもいいよね?」と色々話して、旦那様にも話しました。

こういった理由で、まだ籍を入れていません。

 
少し前、旦那様が「もう少し髪が伸びたら、一緒に実家に話に行こうね」と言われました。

ビックリしましたが、その気持ちがとても嬉しかったです。

旦那様 「何も言わないけど、俺もちゃんと考えとーけん、心配せんでいいよ」 だって・・・

でも、ゆっくりでいいと思ってます。


~コメントやメールで、ご心配いただいたので書いてなかったことを書きました。~
籍を入れないということは、色々な問題もあります。

経済的なことはもちろん、色々なこと・・・

籍を入れるのが一番いいことだとは、二人とも同じ考えなのです。

とてもありがたいことに、私の父が現役で頑張ってるので、保険や治療費などは負担をかけてしまっています。



私の中に色んな思いがあります。

すべてを書くことは難しいですが、家族に迷惑や心配をかけてることは、何より心が痛みます。

私の家族の気持ち、旦那様の気持ち、旦那様の家族の気持ち、たくさん・たくさん考えます。

考えられずにはいられません。

どうやったら、こんなに色んな事を考えれるんだろう?というくらいです。

もちろん自分のことも・・・でも、自分の事だけでは頑張れなかったと思うんです。

自分はもちろん、誰かのために・・・という気持ちがあるから、辛いことも頑張れると思っています。



籍は入れてないけど、髪が伸びたらドレスの写真も撮りたいな~なんていうのも思ってました。

欲を言えば、結婚式のようなものもしたいな~とも・・・

やりたいことは沢山ありますが、それを叶えるには時間が必要なのです。






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新しい先生

2007.07.14 (Sat)
最初からは二人のことに書いてます。

前回の話。


放射線治療も終わりが見えてきました。

この頃、一日に十数回・・・いやもっとかもしれませんが、下痢に悩まされていました。(ごめんなさいね。)

これは放射線を照射することで、腸壁がツルツルになってしまってるから仕方ないそうです。

照射って言っても、火傷と同じようなものらしいのです。

なので、腸がツルツルになるのだとか。。。難しいです。


そしてもう一つ、私は病院の食事が食べれなくなりました。

不味い訳ではないんですよ。(美味しい訳でもないけど)

食事を運ぶ台車の「カラカラ・・・」という音を聞いただけでも、気分が滅入ってきます。

何度も口に入れようとしましたが、吐きそうになるのです。

もったいないけど、毎食売店か母達が買ってきてくれる惣菜などを食べていました。

ただ、食欲があるわけじゃないので、食べたくない時はほとんど食べてないとかよくありました。


こんな感じで、帰りたい帰りたい・・・の気持ちを必死に抑えて、一日一日をやっとの思いで過ごしていました。

先生の突然の話以来、帰りたい気持ちを抑えてないと、病院から脱走しそうでした。

窓から見える病院の建物を見ていると、「帰れないなら・・・」と考えてはいけない事を考えたりしてしまいます。


そんな中、6月から新しい先生が来ることになり、モジモジ先生は違う病院へ行くことになりました。

どんな先生か不安でした。

と言うのも、ある先生は腕はとてもいいけどキツイ先生で、患者の間で有名でした。

再発した患者に「身辺の整理をしときなさい」や「あなたの場合、再発はしますから」など、淡々と言える先生なのです。

この先生と合わなくて病院を変えた人、病院に来なくて手遅れになった人がいました。

経験上、医師には分かることが沢山あると思います。

でも、奇跡としか言いようのない事だって沢山あると思います。

それは、命あるものが持ってる気力や本能。

その気力を無くすような事を言わなくても、と思うのですが、この先生は自分の事だから知っておくべきだし、自分の責任だからと。

確かに、言ってることは間違っていません。

でも、すべての人がそれで頑張れるかと言うと、そうではありません。

私がそうだからです。

私は、担当の先生にお願いして、自分がどの位の病状なのか?言わないで欲しいと頼みました。

私は悪い方に考えてしまう性格なので、病気が病気を呼ぶと思ったのです。


こんな話を聞いていたので、新しい先生はどんな人だろう?と不安だったのです。

が、とても話しやすくいい先生でした。

少しテンパってるのか、忘れっぽい所がありましたが、モジモジ先生と比べるとキッパリ言ってくれるので楽でした。


この先生に抗がん剤治療のことを相談しました。

先生は「絶対にやりたくないなら仕方ないけど、あなたの年齢や色んな事を考えるとやった方がいいよ」と。


どんな治療も自分の意思でやるのだと思うけど、「うーん」とモジモジばかりしていては、こちらも不安になるのです。

キッパリ自信もって言われると、悩みはするものの少しは気が楽に考えられます。

もう一つ、治療を決めた理由。

何かと相談していた看護師のMさんの言葉でした。

「先生からの話を聞いた時、直感でやるかやらないか、どう思った?
 直感って大事だから、迷った時はそれを参考にするのも大事よ」

の言葉でした。

こうして抗がん剤治療をすることに決めたのでした。


退院まであと少し。

旦那様との新しい生活まで、あと少し。

そう思っても、退院の日まで無気力な私でした。









【編集】  22:29 |  二人のこと  | Top↑

突然の話。

2007.05.25 (Fri)
二人のこと

前回までのお話

なんて書いてると、小説みたい?(笑)

いやいや、小説の方が面白いよ・・・な、みぃです



旦那様の思いに甘えようと決めた私でした。

Tさんにも「一緒にやっていこうと決めたよ」と伝えました。

ちょうど娘さんも来ていて、Tさん・娘さんは泣きながら喜んでくれました。


以前から、治療が終わったらPET画像を撮ってみたら?と両親に言われていました。

先生に相談してみるように・・・と。

この日の夜、先生にPETを受けるために紹介状は書いてもらえるか?相談しました。

PETの話からそれて・・・

実は、放射線治療が終わって抗がん剤治療をした方がいいのではないか?という話がある。と言われました。

私は頭を殴られた気分でした。

そして頭の中が真っ白になったようでした。


「そんなに悪いんですか?」と聞き返すのがやっとでした。


先生は転移していた細胞の数と場所、私の年齢を考えてとのことでした。

ただ、抗がん剤治療は絶対と言う訳でなく、やるかどうかは自分で決めなければいけないという事でした。

手術でがん細胞は切除できてますが、転移していたことで再発の可能性は決して低くないのです。

しかし抗がん剤治療をしたからといって、必ず再発しないわけでもないし、抗がん剤の効果は五分五分だと言われました。

先生にどうしますか?と言われた時は「やります!少しでも再発の可能性が低くなるなら」と答えていました。

ここでこう答えたからと言って、治療決定と言うわけではありません。

だって、この日の相談は治療終了後、PETを撮りたいという相談だったのですから・・・

通常、こんな話は家族も一緒に説明を受けるものです。

しかし、この先生は優しい先生でしたが、少しモジモジしてる所があって、こちらから色々話さないとモジモジしてるのです。

なので、私はいつも冗談を言ったりしていました。

そんな私だったので話しやすかったのか?


そして、こういう話をする時は看護師にも伝えられ、患者のケアが出来るようになっています。


でも、突然言われた私は、その場では「旦那様と頑張ろうと決めたのだから、少しでも可能性があるのなら治療を受けよう」と思い、普通にしていました。

これが午後10時前の出来事でした。

消灯が午後10時だったので、病室に戻った時はカーテンが引かれていました。

Tさんにも話すことが出来ない位、さっきの正気はどこに行ったのかと言うくらい、ただ涙が出るばかりでした。


私の頭の中には・・・

放射線治療が終わったら退院して、旦那様と新しい家で頑張るんだと思ってたのに。

やっぱり旦那様とは別れた方がいいってことかな?

本当に手術で、ガンは取ってしまったのかな?

私は、もうダメなんだ・・・

と、色々考えていました。

今となっては、あまり思い出せません。

それ程ショックなことだったのです。


転移していたと聞いた時よりも、ショックだったかもしれません。


夜中に看護師が見回りに来た時、私は眠れず泣いていました。

看護師もどうしたのか?とびっくりしていました。

だって、先生と話すまでは元気に冗談言ったりしていたんですから・・・


そこから看護師たちが大慌てです。

色んな看護師が来て、話をしたり落ち着かせたり。

病室では他の人もいるので、ナースステーションに行って落ち着くまで話をしていました。


でも、一人になると怖くなります。

何が怖いのか分かりませんが、一人になることが怖くて仕方ないのです。

これは病気になってから今も変わりません。


次の日、Tさんと娘さんに話をしました。

昨日の朝、旦那様とやって行こうって決めたばかりなのに、なんでそんな日に・・・と泣いてました。

本当、天国から地獄に落とされたようです。


午後から母が来て、私の様子がおかしいと「何かあった?」と聞いてきました。

その頃の私は、まさに無気力。

食事も話すのもお風呂に入るのも寝るのも、何もしたくなかったのです。


母に話しました。母もショックだっただろうと思います。

泣きたかっただろうと・・・

でも、ショックを受けてる娘を前に弱気にはなれなかっただろうと・・・


旦那様にも電話で話しました。

そして「昨日は旦那様に甘えようと思ったけど、抗がん剤の治療が始まればまた迷惑をかけるし、やっぱり別れた方がいいってことじゃないかな?」と言いました。

旦那様は「何も変わらない。みぃはみぃだから、別れるつもりはない」と言ってくれました。

それでも私は、人一人の人生を変えてしまっていいのか?決断できないでいたのでした。

何度も何度も「でも、でも」と言う私に


旦那様は

「でもじゃなくて、俺が決めた事やけん、はいって言っとけばいいと!」


その言葉で「今度こそ、本当に甘えよう」と決めました。

もちろん、別れた方が・・・なんて考えても、本心は別れたくありません。

ただ、色々な選択肢がある中で、私に責任がある訳でもないのに、子供も出来るかもしれない選択があるのに、それを私が別れたくないと言うことで選択できないようにすることは出来ないと思ったのです。

だから別れたくないとは一度も言いませんでした。

もちろん、病気じゃなくても子供がいない人はいます。

でも、それと私とは事情が違うので、そんな選択をさせてしまっていいのかと悩んでいたのです。


こうやって旦那様とやっていこうと決めた私ですが、無気力なのは変わりませんでした。

月曜から金曜まで放射線治療をし、土日は実家に帰りリフレッシュ!

また月曜からの治療を頑張ろうと元気になっていたのですが、先生からの話し以降、実家に帰って気分転換しても3日と持たないのです。

あれ以来、治療も嫌だ!入院も嫌だ!食事も嫌だ!と無気力全開でした。


そんな時、旦那様が休みになったのでお見舞いに来てくれました。

院内にある公園(?)を歩きながら、色々な話をしました。

また泣きながら。。。


入院中、仲良くしてくれた患者さんで、80歳位のおばあちゃんがいました。

とても可愛らしい方で、毎朝「おはよう、今日もよろしくね。みなさん、笑顔笑顔!あなたの笑顔は素敵よ」と言ってくれる方でした。

旦那様とも何度か会ってもらいました。


公園での会話に「私も、Kさんみたいな可愛いおばあちゃんになりたい。なれるかなぁ?」と。

旦那様「なれるよ!可愛いおばあちゃんになろう!」と。


結局、退院するまで無気力は続いてしまいました。





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【編集】  14:46 |  二人のこと  | Top↑

放射線治療

2007.05.03 (Thu)
久し振りに二人のことでも書こうと思います。

前回、実家で過ごしたところで終わってましたね。


病院に戻り、火曜日には治療が始まる予定でした。

放射線と抗がん剤の併用です。

治療が始まる前に、放射線を当てる位置決めをします。

別に痛くも何でもないのに、無機質な部屋でライトを当てられていると、また色々な事を考えてしまいます。

それだけで涙が出てくるのです。

でもね、痛いとか怖いとかじゃないし、何より大人なのですから、そんなメソメソ泣いているのも恥ずかしいので、先生が来るたびに泣いてないよ~って顔をしていました。

放射線治療は、土日祭日を除いて25回毎日当てられます。

照射時間は位置合わせも含め、5分ほどで終了です。

約5週間、毎日です。

この間、週1回抗がん剤治療があります。

放射線治療と併用なので、抗がん剤治療だけよりは薬の量が少ないようです。

しかし腎臓に負担がかかるらしく、点滴は3日間行われます。



一日目、6本の点滴。この内2本に抗がん剤が入ってます。

その他4本はブドウ糖などに吐き気止めが入ってます。

朝9時から、夜9時までの約12時間。

でも、落ちる速度によっても違ってくるので、13時間はかかってしまいます。



二日目、6本の点滴。これはブドウ糖などで抗がん剤は入ってません。

通称「流し」と言って、薬を尿と一緒に排出するために点滴します。

尿の量が少ないと、もっと水分を取ってくださいと言われます。

なんか矛盾してるなぁと思いますが・・・

この日も朝9時から夜9時までです。



三日目、3本の点滴です。これも二日目と同じです。

朝9時から昼3時までです。



これでやっと解放です。人によっては(先生によっては?)4日間と言う場合もあります。

私も食事や水分が取れない場合は、もう一日点滴と言われてました。

この3日間、点滴の針は刺したままです。

ただ、血管に入れる時だけ針がついていて、その針は抜いてしまうので柔らかい管だけが血管の中に残るようになってます。

とは言え、私は大の点滴嫌いで、看護師さん達の間でも有名だったらしいです。

いくら柔らかい管とは言え、3日間異物を入れっぱなしというのは、それだけでストレスになります。

なので、飲食できない事を考えて、もう一日刺したままにする?と聞かれますが、絶対に嫌だと・・・その時は、もう一度刺します。と答えてました。


そして度重なる採血。

週に3度は採血されていたでしょうか?

初めはプックリ元気だった血管も、何度も何度も針を刺すために細くなり、針が入らなくなります。


この治療を始めるにあたって、先生からの説明があります。

放射線を始めると、3割位の割合で放射線酔いをする人がいます。と言われてました。

その3割にどっぷり入ってしまったのです。


その日はお昼にカレーライスが出ました。

がっつり食べた私は、夕方から気分が悪くなりダウン。

すっかりカレーが原因だと思い込んで、先生にも看護師さんにも食べ過ぎて気持ち悪いと訴えていました。

でも、実は治療のせいだったのです。

そして、カレーが原因ではなかったのに、トラウマになって未だにカレーを食べることが出来ません。


5日間治療をし、土日で実家に帰る。

この繰り返しです。



この間にも、私は旦那様との事を考えない日はありませんでした。

私は手術だけで終わるのなら、旦那様に甘えてみようと思っていたのです。

でも、転移していて治療が始まった。

手術だけよりも、再発の可能性が高くなったということ。

いつどうなるか分からないのに、結婚もしていないのに旦那様の人生を束縛することは出来ないと・・・

旦那様の人生を左右してしまう決断を出来ない。

でも、今までも今からも支えになってくれるであろう旦那様と、別れる決断もできないと・・・

本当に色々考え、どうすることが一番いいのか?悩んでいました。


そして旦那様は、一緒に実家の近くに引っ越そうと言ってくれたのでした。

そろそろ仕事も落ち着くので、旦那様の実家に帰って両親に話すと言ってました。

もちろん、反対されるに決まってます。

子供も出来ないし、何よりこれからどうなるかも分からないような女とだなんて、旦那様の親でなくても反対するでしょう。

まして旦那様は長男。跡取り息子なのです。

ご両親の気持ちは痛いほど分かります。

申し訳ない気持ちで一杯です。



治療も半分を過ぎ、気持ちも前向きになってきました。

隣のベッドのTさんには、色々な相談に乗ってもらっていました。

Tさんは「そこまで言ってくれてるなら、甘えてみてもいいんじゃない?」と言われました。

色々悩みましたが、旦那様が実家に行った次の日の朝、電話をし「よろしくお願いします」と伝えました。


旦那様は実家での話を詳しくは話しませんでした。

大体の想像はつきますが、私も何も言いませんでした。


こうして旦那様との新しい生活が始まるのだと、嬉しくて嬉しくて嫌な治療も頑張ろうと思ったのでしたが・・・

手放しで喜ぶには早かったようです。














【編集】  13:54 |  二人のこと  | Top↑

検査の結果。

2007.04.10 (Tue)
最近外出が続いたので、ちょっと大人しくしてるみぃです。

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前回、ICUから一般病棟に移ったところで終わってましたね。

ICUから一般病棟の個室に移ったわけですが、何もする事はありません。

まぁ、体力もないので殆ど寝てるわけですが・・・

それでも普通食を食べれる頃には、売店に行ったりして少しずつ動くようになっていました。

あまり動かないのも癒着などを起こしやすいらしいです。


個室に何日いたのかなぁ?

よく分かりませんが、4人部屋に移ることになりました。

この部屋の人達も、とてもいい人で後々励まされたり、相談に乗ってもらったりすることになりました。

術後、一週間程で抜糸します。

これまた痛いのなんのって・・・泣きました。


そうこうしているうちに、術後の検査結果が出て、家族で話を聞くことになりました。


どうか、転移してませんように。。。


結果は、ダメでした。リンパ節に転移があったのです。

先生の説明を聞いている間は、不思議と涙も出ず、淡々と話を聞いてました。

追加治療として、放射線治療をすることの説明を・・・


病室に戻り、色んな事が頭の中を駆け巡り涙が出てきました。

両親も泣いていました。

同じ病室の人も泣いていました。


泣いて・・・もういい!泣いたってしょうがない!


と、割り切ろうとしても、涙が溢れて止まりません。



その日の夜、旦那様に電話しました。

涙で声になりません。

旦那様は、妹に聞いて知っていたようでした。

結果が悪かったことで、私は旦那様と別れようと思っていましたが、旦那様に話すことは出来ません。

どうしても言えなかったのです。他にも伝えたい気持ちを上手く伝えることが出来ません。

会って話をするのと、電話で話すのでは全然違うのです。

旦那様と会って話ができない苛立ちで、つい言葉も強くなってしまいます。

電話で話していても圏外になったりで、ますますイライラします。

私は旦那様の声が聞こえない!と怒鳴っていました。

ただ声が聞こえないんじゃなく、話が通じないということを言いたかったのです。

その日は、これで電話を切ってしまいました。


でも時が経ったこと、病室の人と話したことで次第に落ち着くことが出来ました。

それと同じ頃、腎臓が炎症を起こし熱が出てしまいました。

ちょうどGW。世間では旅行やら何やらで賑わってる最中です。

そんな時、旦那様が休みを取って来てくれました。

家に帰ることも出来ない私には、これは本当に嬉しかった。

病院の公園を散歩しながら色んな事を話しました。

でも、これからの事については怖くて話すのを避けていました。

この時はただ、ゆっくりと休みたかったのです。



何日かして熱も下がり、食事も普通に摂れるようになりました。

そして約1ヶ月ぶりの実家へ。。。外泊出来ることになりました。


余談ですが・・・外泊という言葉に抵抗があるのは私だけでしょうか?
自分の家に帰るのに、何で外泊なの?と妙な拘りをもつ私なのでした。


病院から家まで車で30分程ですが、この30分がこんなに疲れるなんて思ってもみませんでした。

家について涙が出そうなのを我慢し、久し振りに優彩とのご対面。

嬉しくて嬉しくて涙が止まりませんでした。


術後1ヶ月弱で、体力もないし傷も痛むので寝てばかりでしたが、家に帰ったのがとても嬉しかったです。

楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。

週明けには治療が始まるのです。。。






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